静岡地方裁判所 昭和40年(ワ)226号 判決 1967年10月20日
原告 増田四郎作
被告 国
訴訟代理人 島村芳見 外六名
主文
被告は原告に対し、金四〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三九年一〇月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
第一、当事者間に争いのない事実
島田税務署長として国税の賦課徴収など被告国の公権力の行使に当る公務員であつた訴外青山勝馬は、その職務を行うについて、次のような処理をした。すなわち、原告は昭和三九年三月四日付の訴訟上の和解に基づく金三五〇、〇〇〇円の金銭債権を訴外三栄建設株式会社に対して有していた。そこで、原告は右債権を保全するため、昭和三九年五月二八日静岡地方裁判所から原告主張の如く訴外会社が第三債務者である静岡県に対して有する工事残代金六五八、〇〇〇円の内金三五〇、〇〇〇円を仮に差押える旨の仮差押決定を得、そして同日右決定は、裁判所から第三債務者へ送達された。
ところが、訴外右税務署長は、右仮差押後その効力持続中である昭和三九年九月二八日訴外会社に対する昭和三九年度滞納国税合計金九二、五六〇円を徴収するため、国税徴収法に基づき訴外会社の静岡県に対する前記工事残代金債権六五八、〇〇〇円全額につき差押を了し、同日第三債務者である債権差押通知書を送達してその旨通知をなし、同年一〇月一二日静岡県から右工事残代金債権全額を取立てた。そして、前記滞納金に爾後の延滞金など加算した合計金一三五、二八〇円を右取立金から差引き、訴外三栄建設株式会社に返還すべき残余金五二二、七二〇円を昭和三九年一〇月二六日右還付請求債権につき被告を第三債務者として仮差押を了していた訴外永田育三がその仮差押を取下げた後、訴外会社に任意返還した。
以上の事実は、当事者間に争いがない。
第二、全額差押、全額取立の違法性の検討
訴外税務署長の行なつた前記債権の全額差押、全額取立が違法であるか否かにつき判断するに、<証拠省略>を総合すると、次の事実が認められる。
原告が昭和三九年三月四日成立した訴訟上の和解に基づく債権を保全するため同年五月二八日本件工事残代金債権の内金三五〇、〇〇〇円につき仮差押がなされ、また同年九月二八日被告国の訴外島田税務署長が工事残代金六五八、〇〇〇円全額につき国税徴収法に基づく債権差押を了するまでの間に訴外永田育三も右工事残代金につき静岡県を第三債務者とする仮差押をなしていたこと、そして、訴外島田税務署長の発した債権差押通知書の差押債権の表示は極めて詳細に明記されていることからいつても、静岡県に対する十分な調査がなされていることが窺われるから右差押当時既に前記仮差押が本件工事残代金につきなされていた事実は右訴外税務署長においてもこれを覚知していたか、少くとも容易に了知し得る状況にあつたものと考えられること、しかも、第三債務者である静岡県が地方公共団体であつてその弁済資力に不安はなく、かつ本件工事残代金債権の性質に照らしても回収不能に陥る虞は存在しないし、このことは第三債務者である静岡県に照会すれば直ちに判明した筈であるのに、これをなさず、訴外税務署長は滞納額の約七倍に及ぶ債権全額を差押えたうえ、その差押通知書には「履行期限までに当税務署あて支払つて下さい」なる文言を印書していたため、静岡県は、同年一〇月六日右税務署長あてに工事残代金全額六五八、〇〇〇円を静岡銀行島田支店を通じて送金し、同税務署長は同月二〇日これを全額納入していること、同日以前の同月一三日頃静岡県から全額税務署へ支払う旨の通知を受けた原告は島田税務署へ赴き、法人税課長、税務署長などに面会を求めて弁済を要求し適正な配分を求めたこと、ところが、一〇月二六日になつて訴外永田育三が被告国を第三債務者として訴外大石角一の有する右差押債権から滞納金などを差引いた還付金請求債権につき仮差押を了したので、同税務署長は右永田、大石と協議して、同年一一月二日に右永田にその仮差押の取下をさせて、同日訴外大右に対し後に静岡県藤枝県税事務所から交付要求のあつた金四一、四七〇円などを差引いた残余金五二二、七七〇円を還付している。
ところで、国税徴収法六三条本文は、債権に対する同法上の差押につき、全額差押の原則を明記するとともに、同条但書は例外的に金額差押の不要な場合の一部差押をなし得ることが規定されている。そして、同法六七条一項には差押えた債権を取立てうる旨の規定があり、これは旧国税徴収法二三条の一第二項の「滞納処分費及税額ヲ限度トシテ債権者ニ代位ス」との文言を改めたものであることなどに照らすと、現行国税徴収法が債権に対する徴収手続において全額差押、全額取立の原則を採用していることは明らかである。しかしながら、同法が国税徴収に関しても一般的に超過差押を禁止していることに照らせば(同法四八条一項)、前記全額差押、全額取立の原則も徴収職員に対し無制約な画一的機械的処理を要請しているものではないと考える。すなわち、右全額差押・全額取立の原則は、通常債権の実質的な価値が名目上の額によつて決定できず、第三債務者の弁済資力いかんによつて左右されるところから、超過差押禁止の例外として特に認められたものであつて、第三債務者の弁済資力が充分であり取立が確実な場合には全額差押の必要はなく滞納税額に見合う債権額の一部を差押えねばならないし差押後に第三債務者が滞納税額全部を弁済したときは、残余額につき差押を解除しなければならないものである。もつとも、同法六三条但書は徴収職員が「その全額を差し押える必要がないと認めるときは、その一部を差し押えることができる」旨規定し、一見、差押の範囲の選択につき徴収職員に全面的な裁量権を付与しているようにも読めないではないが、国税徴収に伴う債権差押が決して国民に権利を付与し義務を免脱させる性質のものではなく、国民の権利を剥奪し、義務を課す性質を帯びる処分であるから、差押の範囲に関する右選択権の行使は被告主張の如く法文の形式に拘泥して自由裁量処分と考えるべきではなく、行為の性質上、覇束裁量処分であると解さねばならない。
したがつて、第三債務者が本件の如く資力の確実な地方公共団体という公的機関であつたり、銀行その他の金融機関である場合などは、一見して全部差押の必要性が乏しいことが明瞭であり、電話連絡などによつても弁済の確実性を簡易に確認し得るのであつて、かような場合にも一率に安易な全額差押を敢行することはそれ自体違法であるというほかない。
しかも、前認定のとおり本件では右のような第三債務者との連絡、確認もなされた形跡はなく、徴収職員において全額差押の必要性の存否を顧慮したようなところも認められないのであつて、ただ単に機械的に滞納税額の約七倍に達する債権につき全額差押をなしたもので、法に定める裁量それ自体さえも行われた跡が認められないから、本件全額差押は違法であることを免れない。しかも、本件の如く目的債権が第三者である原告によつて仮差押がなされている場合には、差押に当つて第三者の権利の尊重を要請する国税徴収法四九条に照らしてもなおさら前記裁量権の行使については慎重な態度を要するのであつて、無暗に全額差押を実施すべきではないから、本件全額差押の違法性は一層強い理由で肯認し得るわけである。
さらに、国税徴収職員である訴外島田税務署長は、前認定のとおり差押通知書に債権全額の履行請求をなす旨の不動文字を印書して、全部取立に着手しているのであつて、そこには一部取立の適否を考慮する余地を全然残していない。また、右履行の請求に応じて第三債務者(静岡県)が滞納税額を遙に上廻る債権全額につき弁済の提供をなしてきたのに、残余額につき差押を解除して、差額を返戻することなく、静岡県が一通の送金通知書で債権全額の金六五八、〇〇〇円を提供したことから右徴収職員がそのまま全額を受領しているのは、とりわけ本件のようにそれによつて第三者(原告)の権利を害する虞がある場合には違法であることを免れないと考える。けだし、債権の差押・取立といつても、もともと差押の基礎をなす国税を徴収するための手段であり、国税徴収法一二九条一項二、三、四号に定めるそれ以外の国税その他の債権などへの配当を予め予測してそのために実施すべきものではないからである。
以上の次第であるから、国税の徴収職員である訴外島田税務署長の実施した本件全額差押、全額取立行為は違法であるというほかないのである。
第三、損害発生の有無などの判断
そこで、次に右訴外島田税務署長の違法な全額差押、全額取立行為により原告に損害が生じたか否かについて判断する。
<証拠省略>を総合すると、次の事実が認められる。
原告は昭和三九年三月四日成立した訴訟上の和解に基き金三五〇、〇〇〇円の金銭債権を訴外会社に対して有していたものでその債権保全のため訴外会社が静岡県に対して保有していた前記工事残代金債権金六五八、〇〇〇円の内金三五〇、〇〇〇円について仮差押を了していたが、訴外島田税務署長の過失にもとづく違法な本件全額差押、全額取立行為により原告の右仮差押によつて債権の保全を受ける権利、ないし法律上の利益を侵害され、その後昭和四〇年一月一一日にいたり原告は訴外会社の有体動産に対する強制執行を二回実施して売得金を得たが、その際訴外和田末春から金三三、五〇〇円の先取特権を有する給料債権につき配当要求があつたので、その残額である合計金一三六、八三四円の弁済を受けたが、これを差引いた債権残額金二一三、一六六円については訴外会社が倒産して現在までその支払を受けることができず、近い将来に亘つてもこの回収を計ることは事実上不可能な状態にある。また、訴外会社は、昭和三九年九月二八日被告国が本件差押を了した当時において、訴外永田育三に対し金五五四、〇九八円の売掛債務、静岡県に対し地方税金四一四七〇円、静岡県榛原郡吉田町に対し地方税金九二、八三〇円、訴外高橋県外三〇名の従業員に対して弁済期の到来している給料債務金二五〇、〇〇〇円および、訴外大石建設外二〇名の取引先に対して未払材料費など計金四、三九四、五四五円、訴外島田信用金庫吉田町支店外一名に対し借入金計金二、七〇〇、〇〇〇円の各債務を負担していたが、現実に交付要求や配当要求を行なつたのは、給料債権金三三、五〇〇円の配当要求をなした前記訴外和田末春および昭和三九年一〇月二七日本件債権につき金四一、四七〇円の交付要求をした静岡県藤枝県税事務所のみであつて、訴外永田育三を除く他の各債権者は配当要求ないし交付要求を実施する様子が見られなかつた。しかし、訴外永田育三は当初より本件工事残代金債権の回収に目をつけ、前認定の如き仮差押を実施したり終始訴外島田税務署、訴外大石角一、原告らと折衝を重ねてきたもので、原告の本件仮差押に移行していたならば、当然これに配当要求をなして来たであろうと推測される状況にあつた。
以上の事実に照らしてみても、原告のなした本件仮差押が強制執行に移行した暁に、訴外会社が訴外島田税務署から本件工事残債権の差押を受けた当時負担していた前記全債務につき被告主張の如くその全債権者が挙つて配当要求その他の方法によつて右強制執行手続に介入してくるものとは直ちに推認することはできない。とくに、当時訴外会社の一般財産が本件工事残代金債権以外にもなお存在していたことが前認定に照らして明らかであるから、被告主張のように全債権者が本件工事残代金債権だけに集中して配当加入をなすものと推測することは許されないと考える。
しかしながら、本件工事残代金債権を追求していた訴外永田育三、現実に交付要求ないし配当要求をなしている静岡県藤枝県税事務所、訴外和田末春については本件工事残代金債権の強制執行手続に加入してくることは推測に難くないので、まず、前記工事残代金の残余額金五六四、二四〇円(還付金五二二、七七〇円+県税事務所交付金四一、四七〇円)から優先債権である後二者の債権合計金七四、九七〇円を差引き、その残額金四八九、二七〇円を訴外永田育三の金五五四、〇九八円の債権と原告の金三五〇、〇〇〇円の債権につき強制執行の手続に則り平等分配に与つたとすれば、原告は金一八九、四〇九円の配当弁済を得た筈であることが認められる。そして、既に認定したとおり原告はその後訴外会社から金一三六、八三四円の弁済を受けているからこれを配当予想額から控除した金五二、五七五円が被告の違法な本件全額差押、全額取立により蒙つた損害であると解すべきものである。
第四、過失相殺の検討
<証拠省略>を総合すると、原告は仮差押を了していた本件工事残代金につき第三債務者である静岡県の土木部管理課長から昭和三九年一〇月一二日付の通知をその頃受取り、右債権は国税徴収法に従つて島田税務署へ支払われるから、同署へ交付要求をするようにとの連絡を受けていた。そこで、原告は静岡県土木課へ赴き事情を聞いたうえ、島田税務署へ訴外内藤信吉とともに赴き交付要求書を差し出すとともに法人税課徴収係長などと再三に亘つて交渉し、屡々同税務署などで訴外大石角一、同永田育三、原告の三者が会合して膝詰談判を繰り返していたが、同月二七日島田税務署から訴外永田の了していた仮差押を取下げるよう要求され、翌二八日右永田はこれを承諾して静岡地方裁判所へ取下げ手続をなしに来たが、右永田は原告に対し債権額の約半額に及ぶ分配をなすとの約束を守らず、島田税務署へ訴外三栄建設株式会社代表者大石を伴い、同署内で大石に還付金五二二、七七〇円を受取らせその場で同人から自己にその弁済にあててしまつた。この間原告は自己の債権がもとより、国税徴収法上交付要求をなし得る国税、地方税、公課ではないので同法上の配当を受け得られる債権ではないのに、必ずしも法律の専門家でない訴外内藤信吉の言や、訴外永田の前記約束を全面的に信じて疑わず、訴外三栄建設株式会社の島田税務署に対して有する国税徴収後の残余金還付請求権に対して仮差押を施すなど自己の権利を防禦する手段を採らなかつた点に過失があること、また、もともと原告の有する本件債権は仮差押当時和解調書の懈怠条項が完成し、完全な債務名義となつていたもので敢えて仮差押をなすまでもなく、本差押、転付命令などの手続を取つて債権の弁済を受け得たのにもかかわらず、そのような方法を選ばなかつたことにも少なからぬ過失が存することが認められる。
そこで、当裁判所は被害者である原告の右過失を斟酌して損害賠償の額を金四〇、〇〇〇円をもつて相当と考える。
第五、結論
以上のとおりであるから、被告は原告に対し国家賠償法一条一項に則り金四〇、〇〇〇円および、これに対する前記全額取立の日の翌日である昭和三九年一〇月一三日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があることが明らかである。
よつて、原告の被告に対する本訴請求は、右の限度において正当であるからこれを認容し、その余の部分はその理由がないことが明らかであるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法九二条、八九条を適用し、仮執行の宣言については、その必要がないものと認め、これを却下することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 大島斐雄 吉川義春 小田原満知子)